ESD-Jでは「ESDトーク」と題し、様々な視点・立場でESD活動を実践している方からお話を伺うインタビュー企画を行っています。
第2回は、保育事業を通して地域づくりに取り組む鈴木大輔さんへのインタビューです。
みなさんは、保育園の経営者についてどれほど知っていますか?
園長先生や保育士の方々の顔は思い浮かんでも、陰から支える経営者の方はお会いする機会も少なく、よく知らないという方も多いのではないでしょうか。
今回インタビューを行った鈴木大輔さんは、多彩なキャリアを活かし保育事業を行う経営者でありながら、埼玉県の北坂戸エリアで「半径500m圏内の持続可能な地域づくり」を目指し活動をしています。また、ラジオ体操のお兄さんとして全国を飛び回りながら健康の大切さを広げる活動も行っています。
保育事業にとどまらず、多様で夢に溢れた活動の数々をどのような想いで行っているのでしょうか?
お話を伺いました。
みなさんの活動のヒントや、新たな繋がりが生まれるきっかけになれば幸いです。
鈴木大輔(すずき だいすけ)
社会福祉法人にじのいえ むぎのこ保育園 理事長
2004年日本体育大学卒業後、埼玉県内の中高一貫校にて保健体育科教諭を務め、大手人材派遣会社に転じる。業務の傍ら保育事業立ち上げを目指し活動する中で、当時共同保育所だったむぎのこ保育園と出会う。むぎのこ保育園を認可保育園へ移行し、運営母体として社会福祉法人にじのいえを立ち上げ2011年開園。2014年より障害児支援事業の放課後等デイサービスぽんてを開設。現在運営を行っている。また2016年よりNHKテレビ・ラジオ体操の体操指導者としても活躍している。
「半径500m圏内に健康で持続可能な地域をつくること」を目標に日々活動している。
鈴木さんのキャリアは多彩です。
中高一貫校の保健体育科教諭を経て、大手人材派遣会社の営業マンへの華麗なる転身。
働きながら保育事業立ち上げを目指す中、偶然出会ったむぎのこ保育園。共同保育所から認可保育園へ移行する大変な業務に1から関わり開園まで突っ走ります。それだけではありません、運営母体として社会福祉法人にじのいえの立ち上げも行いました。
そして現在、鈴木さんは保育園・学童保育・児童発達支援などの事業を手掛ける社会人起業家としての顔と、NHKテレビ・ラジオ体操の体操指導者という2つの顔を持っています。
まだ30代半ばにもかかわらず様々な経験を積んできた鈴木さん。その時々で大変な苦労もされてきたとのこと。
特に保育事業立ち上げでは、これまで保育者と保護者が話し合いながら共に運営を行う「共同保育所」だったむぎのこ保育園のスタイルを継承するにあたって戸惑いや不安も多かったそうです。
しかし不安を感じているのはお互い様。
保育者・保護者の方々にゆるやかに寄り添い、じっくり時間をかけながら信頼を築いてきたそうです。
そんなこれまでの苦労や悩み、喜び全てが現在の自分に繋がっているのだと鈴木さんは語ります。
また、2016年からもう1つの顔である「NHKテレビ・ラジオ体操の体操指導者」としての活動をスタートさせ、90年の長い歴史を誇るラジオ体操の可能性を改めて感じたそうです。
ラジオ体操を通して自分に出来ることは何だろう?と考え、青森県にある弘前大学大学院 医学研究科に入学し、健康な体づくりや地域づくりに関する研究を行っているのだとか。
今後の活躍がますます楽しみな鈴木さんに、保育事業に関わることになったきっかけや持続可能な地域づくりのヒント等を教えて頂きました。
―――保育事業に関わるきっかけについて教えて下さい
僕は「体育の先生になりたい」という夢を叶えるために日本体育大学に入りました。
日本体育大学では体操部に所属していたのですが、実はそこで挫折しそうになった経験があります。
周りのレベルが本当に高くて…続けることが嫌になった。もう辞めようかなと何度も思いましたよ。
けれど当時の先輩から、小さな子供たちにちゃんと指導できれば、内容が変わるだけで中高生や大学生になっても結局は同じことだぞ、指導力や指導方法を学ぶために体操指導のボランティアで子供たちと関わる機会を増やしなさい、とアドバイスをもらいました。
何より、「色々な切り口で自分が成長できる4年間を作ればいいじゃないか、可能性がこの体操部には詰まっているぞ」と言っていただけたことが大きいですね。
このアドバイスをきっかけに、空いている時間や休日に子供たちに体操を教えたり、キャンプやスキーに連れて行ったりするボランティアを在学中の4年間続けました。
これは僕の今の活動の原体験だと思います。本当に良い体験ができました。
そしてこの活動によって、小さな子供たちと関わるイメージが湧きましたし、子供の可能性の大きさや素晴らしさについても感じるきっかけになったと思います。
大学を卒業し、埼玉県内でも有名な中高一貫の進学校の教員になりました。
その学校生活の中で、成果を出していく子供たちがいます。成果というのは自分の目標、こうしたい!という目標を掴み取っていくことです。
しかし逆に、能力はあるはずなのに何故か目標からどんどん遠のいていってしまう子供たちもいます。
何が違うのだろう?
これは僕の意見ですが、成果を出す子供たちは、コミュニケーション力があってアクティブです。そして非常に健康だと思います。どんどん自分の目標を達成していく力があるのです。
そんな共通点に気づき、子供たちの大切な部分を育てるのは、中高生よりもっともっと前、幼稚園や保育園での原体験が大切なのではないだろうかと考えました。
そして僕は2008年の夏、4年間の教員を経て、自分で教育事業を立ち上げたいと思い大手人材派遣会社に転職しました。
企業で働きながら、事業を起こすことや事業の仕組みについて肌で感じて学びたいと思ったからです。
人材派遣会社での業務の傍ら、保育事業立ち上げに向けて動き出しました。夜な夜な駆け回っていましたよ。
そんなときに、偶然むぎのこ保育園の園長先生と出会いました。2009年の春です。
園長先生の想いや保育園の理念などに非常に共感でき、この先生と一緒にやっていこう、と思えました。
その年のGWにはもう進めましょう、と話をしていました。
運がよかったんですね。
―――具体的にどのように保育事業立ち上げを進めていったのでしょうか?
当時むぎのこ保育園は、共同保育所として10年以上の歴史があり、認可保育園への移行を検討していたそうですが、経営者や事業に責任をもつ人がいなかったそうです。
共同保育所は、保育者と保護者が話し合いながら共に運営を行っています。しかし、認可保育園では経営に責任をもつ人が必要になってくる。だからそこは僕が責任をもってやります、と言いました。
そんなこんなでスタートしましてそこからは手続きが本当に大変でした。
最初は人材派遣会社で働きながら手続きの作業を行いました。
夜仕事が終わってから、共同保育所を認可保育園にするための設置認可申請や、社会福祉法人立ち上げのための認可申請などの作業を行いました。申請には2年ぐらいかかりますから2010年は会社を辞めて基盤整備に注力しました。
そして2011年4月に開所することができました。
この功績の裏に実は知恵袋的なおばあちゃん理事長先生の存在があります。
その方は荒川区内で2つの保育園を運営されていて、保育園立ち上げに関わる申請や様々な手続きを全面的に応援してくれたんです。
何度も何度も足を運んで助けて頂きました。本当に感謝しています
―――鈴木さんは2014年に聖学院大学の大学院を出ておられます。大学院に入ったきっかけは何でしょうか?
2014年は認可保育園を開園して3年目ぐらいですが、当時僕は行政に色々と提言していました。
「病児保育をしたらどうか?」「延長保育を例えば一カ所でも22時ぐらいまで行う園があってもいいのではないか?」など、もっとこうすれば地域の子育て支援が良くなるのではないかというのを自分なりに考えて提案していました。
しかし当時の役所の方から見ると30歳前後の若者がどんどん提案する行為が生意気に見られたのでしょうね。
当時役所の方に会議の後に呼ばれて「鈴木さん、元々は福祉の現場の人じゃないでしょう。あなたの専門は体育でしょう?素人には分からないかもしれないけれど、福祉の領域というのは色々あって大変で、一足飛びにはいかないんだよ」と言われて。
今でも覚えていますよ。忘れられません。
その足で、聖学院大学に入らせて下さいと言いに行きました。意地ですね(笑
結果として、大学院への入学は僕の人生のターニングポイントになりました。
福祉に関する知識を得ることができたのも大きいですが、そこの先生から学んだ一番印象に残っていることは、「協働の精神が大事だ」ということ。
僕たちが誰かと共に目標を立てたり、課題を解決したりするプロセスの中では、合意形成していくことがとても大切です。しかし国や行政はそれが上手にできない。何故かというと、例えば財源をどこで支出するかという課題があったとする。どこで合意形成のラインを引こうとしても必ずどこかから不満が起こるために、たどり着く答えは結局いつも平均値になってしまいます。
そこで、その平均値に変化をもたらす役目が、民間の公益セクター(社会福祉法人やNPO)ではないか。そのような示唆を与えて頂きました。
それは僕が関わる地域の中でも同じで、合意形成の中で全員の望みは叶えられないかもしれないけれど、地域の中核となる社会福祉法人やNPOが様々な考えや意見を集約して出来ることを事業として進めていく。それこそが、僕らのあるべき姿なのではないかと。
そう思い至った時、地域との関係やこれまで培ってきた人脈がぐっと強く結びつきました。
もちろん、保育園に関わる保護者の方、保育者の方々との関わり方も変わったと思います。そこでもやはり「協働の精神」の大切さが活かされました。
大学院での学びは本当に大きかったと思います。
―――鈴木さんの夢である、半径500m圏内での持続可能な地域づくりについて教えて下さい
大学院での学びによって、僕は保育園という枠から飛び出して地域にも関心が出てきました。
それは福祉を様々な角度から学ぶことができたからです。
これまでは保育園から行政を見ていたので、行政は補助金を出してくれたりサポートをしてくれたりするツールのような存在だった。
けれど地域を見ると、今後この町が疲弊してしまったら福祉サービスや医療は成り立たなくなるのではないか。それでは人は住めなくなる、地域も産業も必要だ、と考えるようになりました。そうすると、行政への考え方も変わります。
様々な物事が全て繋がっているのだと気づいたのです。
また、2016年から始めたラジオ体操の仕事によって、地方に行かせていただく機会が増えたこともあります。
僕たちが行くのは、観光目的では行けないような小さな町。そこで地方の衰退や人口減少というのを肌感覚でぎゅっと感じました。
地域づくりをもっとスピーディに進めていかなければ、荒廃してしまったらもう手がつけられなくなってしまうのだ、と強く思うようになりました。
そのような実体験に基づき、肌感覚で感じて自分が今いる地域の持続可能性について徐々に考えるようになっていったのだと思います。
地方では廃校になる学校も増えています。今後学校だけでなく、町自体がなくなってしまうということがたくさん起こってくると思います。
そうした考えから、僕は健康で持続可能な地域づくりがしたい、子供から大人まで生き生きと暮らす活力ある社会づくりがしたい、と強く思いました。
半径500m圏内の、というのは今僕が北坂戸地域にこだわって活動をしていることからです。
エリアが限定されればされる程、成果が目に見えて分かるのではないだろうか?今後このエリアがどう変わっていくのか、その変化が楽しみだからです。
保育事業を東京でやらないか?という誘いもありました。
確かに東京で事業を行えば今より事業展開でき収入面でも楽になるとは思います。でも、こっち(北坂戸)の方が魅力的かな、って。色んな意味で、これから楽しみですよ。
そのために自分ができることはどんどん展開していきたいと考えています。
具体的には、保育園をもっと地域に開いたものにしたいですね。多様な人が関わり意見を出してもらい、社会に対する投げかけを行ったり、互いに協力し合う方法を議論したり。
ラジオ体操もこれから地域社会に対する役割が変化してきています。もはや「健康をつくるためのコンテンツの1つ」ではありません。今は地域のコミュニティづくりのツールとしても注目されています。
毎朝地域の方が集まってラジオ体操をする。その会場まで歩く、世間話をしながら軽い運動、認知症の予防にもとても良い。何よりラジカセ1つあればいいんです。
僕は自分たち30~40代の世代は、各世代間の繋ぎ役なのではないかと考えています。
ちょうど中間で、若い世代とシニア世代、どちらの世代の気持ちにも寄り添えると思うのです。
これまで日本では、お互いの背景や意見をぶつけ合ってコミュニケーションを取る場が圧倒的に少なかったと思います。けれど合意形成の場に会話やコミュニケーションは必要不可欠です。
そういった場づくりにも非常に関心がありますし、今後色々と計画しているので楽しみにしていて下さい。
インタビューの後、「まだ保護者の方にはオフレコですが…」と図面を見せて下さいながらコミュニティスペースの構想を説明して下さった鈴木さん。
地域に開放し、子供から大人まで繋がって、共に学び合えるような場所を作りたいのだそう。保育園を運営している経験から、小さなお子さん連れのご家族も集まりやすい工夫が随所に見られる素敵な空間です。
子供たちが生き生きと遊び、その隣で家族や地域の方との交流が生まれる空間、そこを中心に地域コミュニティの輪が広がっていく姿が想像できます。
今回のインタビューは、鈴木さんの保育園そして学童に実際にお子さんが通っているESD-Jスタッフからの紹介により実現しました。そのスタッフもインタビューに同席し、「日頃なかなかお話を聞く機会のなかった鈴木さんの想いを聞くことができてよかった。もっと他のお母さんたちにも聞いていただけたらと思いました」と感想を語ってくれました。
鈴木さんはESDという言葉はご存知なかったとのことですが、その考え方や大切にしている視点など大変共感して下さいました。
これから一緒に何か面白い企画ができそうですね、とお互いわくわく、夢が広がります。
今後もESD-Jでは様々な活動を展開予定です。
ぜひ、活動への参加・応援よろしくお願いします。
鈴木さんについてもっと知りたい方はこちらからどうぞ
2018.02.06.(取材・記事:山本香織)